沖縄を歩いていて、「石敢當」と彫られた石(石柱・石版)を見たことがありますか?
これらは「石敢當(いしがんとう/いしがんどう)」と呼ばれるもの。
石敢當は沖縄の生活・文化と密接に結びついています。
実はこの石敢當、沖縄だけにあるわけではなく、日本全国に存在するものです。
とはいえ、沖縄には石敢當が一万基以上あると言われ、日本の石敢當の9割が沖縄に存在しています。
今回は、そんな沖縄の生活・文化と結びついた石敢當とは一体どのようなものなのか、その歴史も含めてご紹介しましょう。
マジムンを払う、魔除けの石「石敢當」
石敢當とは、一言で言えば魔除けの石。沖縄では「マジムン(注1)」と呼ばれる悪霊を払うものとして道路の突き当たりに設置されています。
(注1)マジムン=沖縄や奄美地方に伝わる妖怪・悪霊の総称
石敢當が道路の突き当たりに設置される理由
ところで、石敢當がはどうして道路の突き当たりに設置されるのでしょうか。
それは、退散させられるマジムンの性質に由来します。
沖縄(発祥とされる中国も)では、魔物は直進しかできないと信じられていました。そのため、マジムンは道路の突き当たりに達すると壁にぶつかり、そのまま家の中に侵入してしまう。そこで、道の突き当たりや交差点といったマジムンに侵入されやすい場所に石敢當を設置して、マジムンの侵入を防ごうとしているのです。
ちなみに、現代では、石敢當は「車がマジムンのように突っ込むのを防ぐ」意味合いを込めて、交通事故を防ぐための魔除けとしても用いられています。
石敢當の歴史:中国から伝来した石敢當
石敢當は元々、中国で生まれたものです。「石敢當」の文字は「石敢えて當たる」を意味し、「石が邪悪なものに当たってはねつける」という考えから魔除けに繋がったと考えられています。
最古だと考えられる石敢當は、770年に福建省甫田県の県庁に百鬼を鎮めるために設置されたもの。その後、唐・宋の時代に住居や地域の入り口に設置するようになったと言われています。
石敢當の沖縄への伝来と普及
石敢當は、いつ沖縄(琉球)に伝わったのでしょうか。
はっきりとした時期はわかっていませんが、15世紀の半ばごろに伝わったのではないかと考えられており、遅くとも18世紀末には石敢當は庶民の間でかなり広まっていたようです。
実際、1756年に来島した冊封副使(注2)の周煌が記した『琉球国志略』には「屋上・門前には多く瓦獅を安んじ、及び片石を立てて石敢當と刻す」とあることから、この頃には冊封使の目に留まるほどに石敢當が普及していたことがわかります。
(注2)冊封副使=中国の皇帝が琉球国王を任命(冊封)するために派遣した使者(=冊封使)のうち、正使とともに派遣された使者。
もともと存在した「石への信仰」と結びついて普及した石敢當
元々、沖縄には石に対する信仰があり、自然の石を道路の突き当たりに立てて魔除けとする習俗が存在していました。こうした習俗と、中国から伝わった石敢當が合わさり、広く普及・浸透していったと考えられます。とはいえ、沖縄での石敢當は、信仰・祈願の対象というわけではなく、あくまで「魔除け」の機能のみが受け入れられて今でも存在しています。
参考文献
琉球新報社. ”石敢当 (いしがんとう)”. 最新版 沖縄コンパクト事典. 2003年3月1日.
https://web.archive.org/web/20200928062726/https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-40232.html
高橋誠一(2008). 「石敢當と文化交渉―奄美諸島を中心として―」『東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian Cultural Interaction Studies』巻1, pp.159-177.
仲原弘哲(1981). 「今帰仁村の『イシガントー』」『今帰仁の文化財』, pp.3-26.
松井幸一(2019). 「石敢當の伝播による形態・意味の変容に関する予察的考察」『人文地理学会大会 研究発表要旨』,pp.130-131.
山里純一(2007). 「石敢當覚書」『日本東洋文化論集』9号, pp.37-68.
山里純一(2019). 『沖縄のまじない』ボーダー新書.
新城俊昭(2014). 『教養講座 琉球・沖縄史(改訂版)』編集工房 東洋企画.